Tuesday, February 07, 2006

Japanese Regulations about the Shopping Mall


今 月号の『世界』に、矢作弘/服部正弘氏による「市場略奪型ショッピングセンターの規制を」という短い問題提起がなされた。熊本市郊外に次々に出店する郊 外型ショッピングセンターの問題や福島県の「まちづくり条例」などをとりあげている。常々、矢作氏の問題提起には敬服しているし、今回の問題提起について も至極ごもっともというほかない。
とはいえ、細部に目をやると、気になる点も多いと言わざるを得ない。究極的には、既存の中心市街地保護派の正統 性 はどこに求められるのかということにあ る。まさか、弱者、敗者、負け組は自動的に正義であるとはならないだろう。そしてまた地元民あるいは地元資本は正義ということにもならないだろう。
例 えば、熊本には市場からの退場を余儀なくされた2つの地元スーパーチェーンがある。強烈な拡大路線を取っていた2社が、より強大な力に屈服させられ たというのは皮肉な話しではあるが、これは健全な市場論理が貫徹したとものとして了解すべき事柄である。まず確認されるべきは、中心市街地に存在する数々 の商業もまた、この市場のプレーヤーであるという点である。この点は何ら争うべき事柄ではなく、各資本には自己責任が課せられている、はずである。彼らが 商業として有るかどうかは、彼らの責任でしかない。もち ろん、市場から退場し、生活の糧を奪われた人々の保護は行政の仕事であることはいうまでもない。
行 政が守るべきは、商業者ではなく、街に欠くべき 存在としての中心地商業エリアである。それが街の憩いの場であり、文化発信の場であり、そして商品売買の 場である、つまり街に欠かすことができないインフラとしてそれを位置づけた時に、はじめて中心市街地保護に正統性が与えられる。
さて、市場略奪型 ショッピングセンターの規制が必要だという。無秩序な出店は、自然環境を崩壊させ、周辺地域の治安を悪化させ、そして中心市街地の機能ま でもを破壊していく。まことに正論で反論の余地もない。ただ、このようなショッピングセンターの展開を許しているのはあたかも、無責任な消費主義住民であ るといわんばかりの論調には閉口せざるをえない。
はた して中心市街地自身は、消費者を集める努力をしてきたのだろうか。あるいは行政はそれをインフラと認めて面として中心市街地の活性化にあたってきたのか。 十分な議論が広範な人々によってになされてきたのだろうか。そ こが最も問われるべきである。熊本市の中心に立ってゆっくり一回転してみることである。「無責任な消費主義者」のせいにはできないはずである。
(写真は久留米市郊外ゆめタウン久留米内=紀伊国屋書店。「無責任な消費主義者」の群れ。筆者は、当日ここで『世界』を購入)

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