Wednesday, December 14, 2005

Perspective for the Modern Capitalist Society


20 世紀初頭アメリカでマーケティングは始まった。毎年、マーケティング論の講義はこのストーリーから説明を行う。ビッグビジネスの誕生、大量生産体制の 確立、そして寡占市場の成立といった一連の説明にかなりの時間を費やす。このストーリーの必然の中にマーケティングの本質はすべてあると考えているからに 他ならない。

もっともこのようなストーリーは、講義でどの程度取り扱うかは別として一般的に共有されている理解である。問題は、このマー ケティング誕生のストーリーを 受けて、その後の講義をどのように展開するのかにある。第1は、誕生ストーリーを前提にした上で、技術論的にマーケティングを説明する方法。第2は、自由 競争から寡占競争へという資本主義の不純化をペシミスティックに捉え、マーケティングの腐敗的な性格を嘆き、あるいは暴き立てる方法。そして、第3 は、誕生ストーリーに続く、経済発展へのマーケティングの貢献と、その破壊的性格を重層的に捉える方法である。

私は第3の立場を取りたい と考えている。これがマクロマーケティングのスタンスであり、マーケティング論に歴史的展望を吹き込む唯一の手段であると考えて いる。だが、このスタンスをとる研究者は少ない。ほとんどが第1の方法。あるいは第1と第2の混合である。この混合スタイルのたちが悪い。職のために、第 1の方法をとっているが、本質は第2と考えている。そしてやがて第2の方法を忘れる。ミイラ取りがミイラになったというやつである。

おや、面倒な話しになった。今日は1日、北原勇、伊藤誠、山田鋭夫『現代資本主義をどう視るか』青木書店、1997年を読んでいた。現代資本主義に対する展望なしに、マーケティングは語れない。いや、マーケティングの理解無しに現代資本主義は語れない...
(写真はT型フォード:トヨタ博物館にて撮影)

Sunday, December 11, 2005

Depression of the Mac Slaves

Apple Store Fukuoka Tenjinに行った。「福岡天神」という用語法が定着しつつあるのか?西鉄が数年前から使い始めているのだが、天神の前に福岡を付ける必要性があるのだ ろうか。まあいい。研究室の主力戦闘機を買い替えなくてはいけないと思っているので、ちょっとのぞいてみた。

ヤングで溢れていた。日本では見ないが、似たような店舗をSONYがアメリカに持っている。なんであんな店に行く奴がいるのかなと思っていたが、やっぱり行くもんだ。ipod人気だけでこれだけの客をよべてしまうのである。

あ る意味、微妙かもしれない。ipodの客とMacの客はどうも異なる。Macの客はipodも使うが、ipodの客はMacの客というわけではない。し たがって、店はシャレてはいるが、Macの殿堂ではないのである。ケータイ以外のハイテクツールを触ったことなど皆無の人々がたむろっている。

博 多区住吉神社近くにMac Suportというあやしげな店が存在する。およそシャレていないが、福岡のMac教信者で知らない人はいないだろう。Mac関連の部品やソフト、そして ジャンクを売っている。完全に足下を見られているので、無茶に高い中古部品を買わされてしまう。「あ〜マック奴隷」を実感する瞬間である。

さて、わがMacはどこへ私達を連れて行こうとしているのか?期待と心配半々というところか。

Thursday, December 08, 2005

CITIBANK〜Worst Bank of the World

CITIBANKの口座を閉じに行った。行きたくなかったので、他に方法は無いかと
電話で聞いたが、「カードのこともありますし...」と、どうでも良い返事。それ以上電話で話すのも不愉快なので、店舗に行くことにする。

口座は、ネット上でのやり取りと郵便でのやりとりで簡単にできたように記憶している。渡米前に、当座の資金保有のためにトラベラーズチェックを作った時に 店舗に出向いた。いうまでもなく、最悪の接客であった。世界で真っ先に消えてなくなってほしいものは、CITIの人々である。

さて、今日もかましてくれた。わずかな資金が入った口座を閉じるのに、いったい何枚の紙切れに署名させられたことやら。間違えたら、書き直せと言う。しか も、サインが違うと言い始めた。「ただの一度も他でそんなことを言われたことは無い」というと、免許証を見せろと言う。よほど暇と見える。画面でサインを 照合している。ブゲラッチョである。まあ、この銀行が世界で最悪の銀行であることは十分承知しているつもりなので、想定の範囲内だが。

それにしても解約の手続きが終わった後も待たせる待たせる。広い店内に、客は私一人である。さんざん待たされたあげくに、「ほら」と、現金と袋を渡された。自分で入れろとさ。帰る私の頭からは湯気がでていたに違いない。

おそらく、あの銀行では「客をどれだけ不愉快にさせたか選手権」をやっているに違いない。強者ぞろいである。

Friday, December 02, 2005

Premium Consumption

消費論がにぎわってきた。景気が良くなってきたのだろうか。それとも良くなることへの期待感なのか。1980年代にも空前の消費論ブームが起きた。

「階層消費」「分衆」「小衆」そして、「豊かさ」論へと展開したのであった。「差別化の悪夢」や「キャベツ畑人形」など、懐かしくもあり、まだまだ使える概念でもある。

今日は、来年の1年生のゼミで使うテキストを探しに紀伊国屋に行った。結局、野村総研が出している『第三の消費スタイル』にした。文章が平易で、資料が多 く、しかも内容が新しい。一抹の不安があるとすれば、インパクトに乏しいかもしれない。1年生に『欲望と資本主義』を読めという勇気が薄らいでいるのかも しれない。

1年のブランクの前、私の頭を支配していた日本人の消費行為は、「スペシャルを求める」消費行為であった。人よりもちょっとだけいい扱いを受けたい人々が 増えたように思えたからだ。外資系ホテルで高い部屋を取ると、1Fのフロントではなく、高層階でチェックインする。スペシャルに美人でバイリンガルのお姉 さん相手に、談笑しながら椅子に座ってテーブルでチェックイン。

『第三の消費スタイル』では、これをプレミアム消費と呼んでいる。この本の議論の核心は別にあるが、「スペシャルを求める」消費=プレミアム消費について、資料込みで知る機会を得て、これはラッキーであった。やはり、この層の消費者が増えているらしい。