Sunday, July 31, 2005

End of Starbucks Coffee〜MPSA 1

スターバックスが終わっているというのは、今回の滞在の早い時期に気がついた。これから、Marketing Petit-Stories in America(MPSA) 2004-2005というシリーズを開始しようと思う。
私 のスターバックス初経験は、1999年頃だったと思う。たしか、ボルチモアかなんかだったと思う。すでに日本には1996年に入っていたのであるが、私は 知らなかった。なんだか簡単な店で、おいしいコーヒーを飲ませるなと思ったりした。私の記憶が定かだとしたら、少なくともアメリカでは現在の定番店舗の形 態がまだできていなかったのではないかと思う。1週間ほどの滞在期間中に、何度も足を運んだ。好きになったからではなく、案内して下さった方がよく利用し ていたからに他ならない。当時は、都心部のなかでも落ち着いた場所にあって、客層もそう悪くなかったように思う。
日本へのスターバックスの上陸 は、すなわちスターバックスのグローバル戦略のスタートであるといえる。やや遅れて1998年、アメリカ国内における郊外店の開発がはじまることになる。 2000年代に入ると日本でも地方への展開が加速された。福岡天神の店舗ができたときは、うれしくてよく行ったりした。90年代後半からの”まったり”文 化がスターバックスの窓越しに確認された。日本のスターバックスの店舗展開は、あのサザビーとの共同事業である。私は、スターバックスの日本での成功は、 サザビーとの提携を抜きには考えられないと思っている。アフタヌーンティー、アニエスb.などの文脈の延長線上で考えるのがもっともしっくりくる日本にお けるスターバックス成功の物語である。
しかし、いつのころからか、スターバックスのマイスはダサイそれに変わった。マンハッタンを歩く。ほぼ一ブ ロックごとに店舗があるのではないかと思えるほどの過剰な出店。数ある人気のカフェやデリから振り落とされ客や、まだスタバを新鮮に思えるほどの田舎から 登ってきた観光客が集まるそんな場所、それが今のスタバである。日本展開以降、定番化したあの店舗デザインも、ひどくチープに思えてしまうから不思議であ る。そう最初にスタバに行った時のような輝きや緊張感がそこにはない。”まったり”しながら、実は緊張していたそれがかつてのスタバであった。文化的緊張 から、ブランドのイコンは生まれる。
今はどうかしらないが、日本ではスタバの豆は、百貨店でしか売らなかった。それに対してドトールの豆はコンビ ニでも売られていた。複雑なビジネスの事情から、日本の量販店では、唯一コストコだけでスタバの豆を手に入れることができた。アメリカではスーパーで大量 に売られている。そして、私が決定的にまずいと思ったのは、コーヒー牛乳である。いや他の名前があるのかもしれないが、味もまずいが緊張感0の商品であ る。あんなものを売ってしまっては、ブランド価値も0へと近づく。ちなみにうちから歩いて行けるグロサリーストアにも売ってある。タバコやロトと一緒に。
世 界中に"カフェでまったり”文化を発信したスタバであるが、他方で貧困なグローバル文化発信の咎で、アンチブランドムーブメントの槍玉にもあがった。ブラ ンド構築の一つ一つのアイテムや、テクニックが強いブランドを生み出すわけではない。そこで暮らす人々とのあいだの緊張関係をいかにiconと化すか、こ れである。いつの日からか、スタバはそれを忘れた。

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