Saturday, March 18, 2006

I moved to new blog service.

「ブエナビスタに暮らして」訪問者数5000人を祝して?
blogサイトのリニューアルを突如思い立ち、
本日未明、引っ越しをすませました。

内容が変わるわけではありませんが、
関西どっとコムblogに入居することにいたしました。

どうぞお立ち寄り頂きすますと同時に、ブックマークあるいはリンクの
変更を頂きますよう、お願い申し上げます。

マーケティングと生活世界/blog ed.

なお「ブエナビスタに暮らして」は、ロードアイランド情報として意義がある限り
存続させる所存です。

Monday, March 06, 2006

Conference in KARATO Market

学 会出席のため土曜日に下関の唐戸市場に出かけた。12時から食事をとりながらの会議の予定なので、逆算して9時過ぎには家を出た。快速に乗って、博多駅 を過ぎると座ることができた。うつらうつら寝ていると、すぐに北九州市へと入った。およそ3年ぶりの北九州、若戸大橋が迎えてくれた。

11 時少し過ぎに、門司港駅に降り立った。なかなかに趣のある駅である。終点駅独特の風情がある。時間があれば門司港レトロを楽しみたいところであるが、 そそくさと渡船場へと向かう。およそ20分間隔で下関唐戸行きの船が出ている。船に乗ると、いつもそうなのかわからないが、関門海峡の波はきつかった。5 分で着くので問題ないがもう少し長いと、ちょっとこまるであろう。船内はカップルばかりであった。もっともカップルの年齢は様々であった。北九州と下関で タイアップして関門を観光資源化している。

今 日の学会(九州部会)は、メンバーの厚意で唐戸市場の会議室を借りた。数年に一度、この時期の開催をねらって下関でやっている。目的は一つ、フグである。 研究会を終えると、メンバーは会議室から調理設備を備えた懇親会会場へと移動する。小規模な部会だから可能だと思われる。各自、包丁を持ち、自分のフグを さばいていく。いうまでもなく要所の調理はすでに終わっていて、薄くスライスする作業だけなのだが。

すべての日程を修了する頃にはあたりはすっかり暗くなった。唐戸発8:00の船で門司港に向かった。帰りはそれぞれのコースで岐路へと向かった。杯を重ねたひれ酒がきいたのか、帰りもうつらうつらの車中であった。

Thursday, February 16, 2006

The Century of Senior Citizens


今 日は確定申告初日。確定申告を要するほどに年収があるわけではないが、通称、住宅取得減税(正式には住宅借入金等特別控除)を申告する為に、市の生涯教 育センターに向かった。購入した年に申告すれば給与所得者の場合は自動的に継続されるが、私のように一度非居住者になると、適用を受ける為にはもう一度申 告が必要となる。最初の申告から4年経ったが、便利になった。インターネット上で必要情報を入力すると、自動的に計算してくれるし、還付額も教えてくれ た。そのままネット上で申告も可能だが、これはソフトをダウンロードし、登録も必要ということなので、かえって面倒と思い、出力だけを行った。

さ て、開始時間の20分ほど前に会場に行くと、門の前にはすでに100人近い人がならんでいた。90%はお年寄りである。待合室のお年寄臭が気になった。 i-podをつっこんで本を読んでいたので、音はそれほど気にならなかったが、順番が近づきイヤホンを外すと、あまり感じたことのないリズムの音が遠慮な く襲ってきた。ほとんどのお年寄りの会話は意味不明であった(聞き取ろうともしていない)が、音だけは大きかった。それにしても、わたしでも面倒に思える 申告、どういう内容かはわからないが、これほどのお年寄りがやってきて相談を受けつつ行わなければならないとしたら、システムに欠陥があると言わざるを得 ない。もっと合理的で簡素であるべきはずである。

ところで先日、妻と昼食をとりに温泉センターのレストランへと向かった。その前日に行っ た美容院でその評判を聞いたからである。くるまで10分程度である が、温泉センターの存在自体知らなかった。ものすごい数の客でごった返していた。平日の昼間である。ちなみに温泉センターの回りは見渡す限りの田園地帯で ある。結局お目当てのバイキングレストランには入れず、和食のレストラン(大広間の宴会場を利用した感じ)に入ったが、こちらも客が多く、昼間から酒を飲 んでいる人などで溢れていた。

どう解釈して良いのか分からず、ぐるぐると首を動かしては、まわりの光景を確認したが、事態を把握するには いたらなかった。はっきりとしていることは、ほ とんどがすでにリタイアした老人達であるということである。ちなみに食事の料金は日替わりのランチでひとり1000円と決して安いとは思えない。温泉その 他をふくめるとそれなりの金額が必要だと思われる。それにしても老人達の食欲は旺盛で、かなりのスピードで料理をたいらげている様子であった。

な かなかにいいご身分ではないか。格差が広がったとはいえ、これだけの人々が昼間っから温泉センターに行って、1000円のランチを食べているというの は、たいしたものだと思ったりした。しかし、これが最高の道楽だとしたらどうなるのか、と新たな疑問も持ち上がるのであった。

それにしてもこの温泉センター、完璧にお年寄りに照準を合わせて、すべてのテイストを統一していた。マス媒体を用いた広告などないが、どうやら地域限定の旅行マガジンなどでは評価が高いらしい。したたかなマーケッターがいるようだ、「花立山温泉」。

Tuesday, February 14, 2006

Miscellaneous Thoughts on My Tunes


首都圏の人々に比べればたいしたことないのかもしれないが、まあまあ遠距離通勤の私である。ほとんど電車で通うが、週1回は自動車で行くことにしている。本や資料がかさばると自動車が便利である。自動車ではラジオを聞いている。Love-FM(76.1)。

毎 月、Love-FMではその月の一押しの曲が繰り返し放送される。先月のCOOL CUTSは、Monkey MajikのFlyであった。いかしたアコースティックのイントロに、なんかどっかで聞いたことがあるような、と思ったものである。しかしやがて歌詞が英 語から日本語に変わる頃には、ふ〜んとはまってしまった。なんとなく眺めていた「西遊記」(フジ系)で、かれらの別の曲が挿入されているのを見た時は、な んと因果なバンド名だなと思ってしまった。

マチャアキの「西遊記」(日テレ系)の放映開始直後かそれ以前か、すでにサウンドトラックの GODIEGOのアルバムは音楽好きには有名であり、「LPレコー ド」が回覧されていた。その後しばらくして彼らはアイドルになっていた。私は高校1年であった。高校へは電車で通った。その私鉄の駅までは自転車。ドロッ プ ハンドルのそれですっ飛ばしたものである。

さ て、先週の土曜日、妻とCHARのコンサートに出かけた。デビュー30周年らしく、われわれのファン歴もおよそ30年となった。彼のFirstおよび Secondには、SmokyやShinin' You, Shinin' Day、それにTokyo Nightなど名曲がおさめられている。これらの曲の歌詞はすべて英語で書かれている。それらにまじって実は数多くの日本語歌詞の曲が含まれている。その 歌詞のほとんどは2005年7月に逝去したNSPの天野滋氏によって書かれたものであった。

開始後数曲目、「かげろう」が演奏された。

またがる自転車風を切り
駅まで時間においつめられて
僕は肩で息をする
暑い空気がのどにつかえる
風が吹き上げて ふりかえってみると
街のけしきが ゆれている



なぜだか涙がとめどなく流れた。高校1年、自転車をすっ飛ばす自分が思い出された。もう30年近くもこの人のplayを聞いている。そしてこの歌詞を書いた人はもう亡くなっていた。何がなんだか分からなかった。とんでもなく遠くに来てしまったような気がした。

天 野氏追悼がコンセプトを形成しているのであろう。日本語歌詞の曲がいつになく多かった。とはいえ、いつものように音楽以外のほとんどすべてが排除された ステージである。むかしに比べるとMCもあるにはあるが、それはあるという程度である。音すらも少ない、と思う。Charは空間のアーティストである。音 の構成力が生命線だとつねづね思っている。同じ曲をやっても他のギタリストよりも音数は少ないはずである。

3 月号の『PLAYBOY』 は、John Coltraneの40ページに渡る特集であった。記事はもちろん、写真もよかった。初心者にはこのような特集がありがたい。それにしてもつくづく、 ミュージシャンは写真写りだなと思う。今月号の雑誌の表紙は、Blue Trainのジャケットに使われた写真であるが、この写真だけでこの音楽はすごいに違いないと十分思える。

特集の中で、Coltrane とJimi Hendlixとの音楽的接点を解説しているものがあった。ともにインド、アフリカ音楽に傾倒している。両者ともにその摂取において苦難のプロセスを経験 している点でも共通している。記事には出ていなかったが、いうまでもなくそのimprovisationという演奏スタイルでも両者には共通したものがあ る。

親不孝通りDrum Rogos、3時間に及んだコンサート、アンコール最後の曲は、Purple Hazeであった。

Tuesday, February 07, 2006

Japanese Regulations about the Shopping Mall


今 月号の『世界』に、矢作弘/服部正弘氏による「市場略奪型ショッピングセンターの規制を」という短い問題提起がなされた。熊本市郊外に次々に出店する郊 外型ショッピングセンターの問題や福島県の「まちづくり条例」などをとりあげている。常々、矢作氏の問題提起には敬服しているし、今回の問題提起について も至極ごもっともというほかない。
とはいえ、細部に目をやると、気になる点も多いと言わざるを得ない。究極的には、既存の中心市街地保護派の正統 性 はどこに求められるのかということにあ る。まさか、弱者、敗者、負け組は自動的に正義であるとはならないだろう。そしてまた地元民あるいは地元資本は正義ということにもならないだろう。
例 えば、熊本には市場からの退場を余儀なくされた2つの地元スーパーチェーンがある。強烈な拡大路線を取っていた2社が、より強大な力に屈服させられ たというのは皮肉な話しではあるが、これは健全な市場論理が貫徹したとものとして了解すべき事柄である。まず確認されるべきは、中心市街地に存在する数々 の商業もまた、この市場のプレーヤーであるという点である。この点は何ら争うべき事柄ではなく、各資本には自己責任が課せられている、はずである。彼らが 商業として有るかどうかは、彼らの責任でしかない。もち ろん、市場から退場し、生活の糧を奪われた人々の保護は行政の仕事であることはいうまでもない。
行 政が守るべきは、商業者ではなく、街に欠くべき 存在としての中心地商業エリアである。それが街の憩いの場であり、文化発信の場であり、そして商品売買の 場である、つまり街に欠かすことができないインフラとしてそれを位置づけた時に、はじめて中心市街地保護に正統性が与えられる。
さて、市場略奪型 ショッピングセンターの規制が必要だという。無秩序な出店は、自然環境を崩壊させ、周辺地域の治安を悪化させ、そして中心市街地の機能ま でもを破壊していく。まことに正論で反論の余地もない。ただ、このようなショッピングセンターの展開を許しているのはあたかも、無責任な消費主義住民であ るといわんばかりの論調には閉口せざるをえない。
はた して中心市街地自身は、消費者を集める努力をしてきたのだろうか。あるいは行政はそれをインフラと認めて面として中心市街地の活性化にあたってきたのか。 十分な議論が広範な人々によってになされてきたのだろうか。そ こが最も問われるべきである。熊本市の中心に立ってゆっくり一回転してみることである。「無責任な消費主義者」のせいにはできないはずである。
(写真は久留米市郊外ゆめタウン久留米内=紀伊国屋書店。「無責任な消費主義者」の群れ。筆者は、当日ここで『世界』を購入)

Friday, February 03, 2006

Nobody knows the BSE problem in USA.

アメリカでBSE問題についての報道などほとんどなされない。情報コントロールはピカイチなので、だれもそんなこと知らない。危険部位を除去するという。誰に向かってそんな注文をしているのだろうか。できるわけがない。無理なのである。
日本の消費者が過敏なのではなく、アメリカの消費者は危険を知らされていない。したがってまた末端の精肉従業者に危険部位除去への強い責任意識などあろう はずもない。あったとしても、日本人が教えてあげないと自動車も組み立てられない超低技術国家だということを忘れてはならない。
さて、チンパンチー顔の大統領を頂くかの国について、いくつもの幻想を私達は抱いてきた。そろそろ整理しないとね。

Monday, January 09, 2006

Why do they use HIRAGANA ?

以前、住んでいる市の名前の変更がごくローカルな話題になったことがあった。合併に合わせて名前を変更しようというものだ。結局合併相手に嫌われて、破談 したので、名称変更も無くなった。その時の名称を決めるプロセスにはあぜんとした。まず、市民にアンケートをとる。まあ、ガス抜きというところである。ア ンケートで一番になった名称で決定されるというわけでもない。そして、ひらがなの名称使用がささやかれていた。「みい市」、この街を出ようと思った。
いつからだろう。こんなばかばかしい流行がはじまったのは。ねんきん、しょうがいしゃ、まちづくり・・・。もう、いけない。頭をあけて脳みその具合を点検してみたい。言葉から意味がはぎ取られていく。議論も無いままに。文化も歴史もどんどん失われていく。
言葉狩りの次は、漢字狩りである。大手を振って歩いている。日本版ポリティカルコレクトなのかもしれない。議論の末の苦渋の選択であれば、飲むしかない。そんなはずないことは、今時、小学生でも知っている。「やさしい感じでいきましょう」。
ねんきん、そんなもん誰も払わんだろ。